Keyz - 上弦島事件

2010年7月 5日 (月)

Keyz - 上弦島事件 #01

「いやー、やっぱりアガサ・クリスティでしょ。『アクロイド殺し』に勝る小説は読んだことないね」
「えーっ、あれはズルすぎますよ。私はバーナビー・ロスのが好きだな」
「いやいや、日本の作家も欠かせないだろ。綾辻とか有栖川とか神過ぎ」

…どうしよう。目の前の会話についていけない。

僕、麻倉知之(あさくらともゆき)は、高2になって入った推理研究部の合宿で、十日町(とおかまち)先輩の家が持つ伊豆沖の島へ向かうため、顧問の両門(りょうもん)先生が所有するクルーザーで移動している。島とか船とか持ってる知り合いなんて初めてだけど、そのおかげでゴールデンウィークにリーズナブルな旅行が出来るのは素直に嬉しい。…のだけど。

「ねぇ、麻倉君の好きな作家は誰?」この春に推理研究部を創設した千石(せんごく)部長が、とても爽やかな笑みを浮かべて僕に話を振る。
「え、ええっと…僕は…」困った。僕は事件にはよく巻き込まれるけど、別に推理小説が大好きというわけではないのだ。しどろもどろしながら、僕は咄嗟に思い出した名前を口にした。「や、矢部(やべ)ゆきさん、とか、っスかね…?」
「おおー、しぶいじゃねえか麻倉」副部長の十日町先輩が嬉々として言う。「いいセンスしてんなお前」
「え、あ、そ、そうっスか…?あはは…」苦笑いで何とか乗り切った僕はふと、船に乗ってからずっと横の席で目を閉じている人物に目をやった。クラスメートであり、実は僕の双子の兄にあたる篁祥一郎(たかむらしょういちろう)である。ぶっちゃけると、さっき僕が言った"矢部ゆき"とは、本当は兄さんが好きな作家である。「…えっと…篁君、大丈夫っスか?」
「…うっせ」兄さんは目を閉じたまま小さく言う。「オレが船苦手なの、お前も知ってんだろ」
「あら…流石の名探偵様にも可愛らしい部分があるのね」
「あん?」真向かいに座る女性の声に、兄さんは薄く目を開く。というかガンをつける。「何か文句でもあんのかよ、岩満(いわみつ)」
彼女の名前は岩満恭子(きょうこ)。今年から共学になった秀文(しゅうぶん)高校に唯一2年から編入してきた女子生徒で、いつ見ても謎めいた雰囲気を醸し出している。
「いえ、別に?」岩満さんは長い髪をかき上げ不敵な笑みを見せる。「それより、あの島で2泊3日、そろそろ何をするのか教えてくれてもいいんじゃないかしら?」
「ああ、それね」ノートパソコンをカタカタ打ちながら、徳丸(とくまる)君が言う。彼もこの推研の創設メンバーの1人だ。「島についてからのお楽しみだよ」
「ふーん…ま、俺はいいけどさ」そう言うのは僕の友達である羊谷時哉(ひつじたにときや)君。「つか、あの島、何って名前なのさ?」
「島の名前かい?」クルーザーを運転しながら両門先生が言う(なんでも先生は魚釣りが趣味らしく、それが高じて船舶免許も取っちゃったらしい)。「あれはね、上弦島(じょうげんとう)っていうんだよ」
「上弦島…」僕は、その響きを小さく呟いた。
その僕を、篁君がちらと横目で見たような気がした。